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日本図書設計家協会 The Society of Publishing Arts
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活字遊行1 活字との出合い

 随分以前になりますが、770年の「百万塔陀羅尼経」からはじまり戦国時代の「キリシタン版」、江戸時代初期の「嵯峨本」「駿河版」、明治時代の印刷など、印刷と活字の歴史を調べ、ある会で発表してからすこし経っていた頃だったと思います。それらを年代別に流れに沿って展示してある施設が出来たとの情報がはいり、東京に見学に出掛けました。
 前日は鴬谷に住んでいる友人のマンションに泊まり、翌日山の手線で池袋から地下鉄に乗り換え、江戸川橋で降りますと出口の前は神田川が流れ、ながれに沿って右に目をやると、聳え立つようなビルが目に入ってきます。それが凸版印刷のビルでした。ビルの中には、印刷博物館やギャラリー等があり、ギャラリーでは粟津潔氏の「象形文字遊行」と題した展覧会が開かれていました。甲骨や金文などの字形を大きな用紙に筆文字で表現してありました。その力強さと、迫力に圧倒されました。
 粟津氏は1960年代から活字を判子のように用紙に押し付け、本のタイトルに使ったり、色を変えて重ね合わせてビジアル表現したり、活字にこだわったデザイナーでありました。
 去年逝去されましたが、デザイナーになりたての頃から一番注目した作家でありました。
「砂の女」「怪談」などの映画タイトルデザイン。「マースカニングハム」「第二回世界宗教者平和会議」「飼育」などのポスター。そして数多くの装丁の仕事。これらのすべての作品に活字が切っても切り放せないのです。篠田正浩監督の「心中天網島」は美術も担当し深くかかわった仕事でした。装置のような美術も色々な文字が多用してあり、ポスターのタイトルに使用した文字は中国の木版文字らしいのですが、明朝体の原形のような書体です。ノイエグラフィックの流れくむ組版や、風紋のような線描や、イラスト、書き文字などにも力をいれておられました。
 文字や活字を考える時いつも粟津潔氏の仕事が頭に浮かびます。

印刷と活字の年代記

750年頃(朝鮮)
仏国寺「無垢浄光大羅尼経」。
770年(日本)
宝亀1年「百万塔陀羅尼経」印刷完成。
1298年(中国)
王てい木活字で「農書」を印刷。
1403年(朝鮮)
王立活字鋳造所設立。数十万本の銅活字鋳造。
1445年頃(ドイツ)
このころグーデンベルグ活版印刷術を発明。
1455年(ドイツ)
グーデンベルグが着手した「四十二行聖書」完成。
1590年(日本)
天正18年巡察使ヴァリニャーノ印刷機材一式、日本に持ち込む。翌年加津佐において「サントスの御作業のうち抜書」を出版、キリシタン版と呼ばれる。
1593年(日本)
文禄2年後陽成天皇の勅命により、朝鮮伝来の銅活字で「古文孝経」印刷。(文禄勅版)
1608年(日本)
慶長13年 角倉素庵、本阿弥光悦ら嵯峨本を刊行。
1615年(日本)
元和1年 徳川家康、銅活字で「大蔵一覧集」等を刊行。駿河版と呼ばれる。
1765年頃(フランス)
ピエール・シモン・フールニエはそれまで大きさがまちまちだった活字の寸法を 合理的な基盤の上に位置ずけて、ポイントという級数を与え活字を数字のように組み合わせることができるようにした。
1790年頃(イタリア)
ボドニーがモダンスタイルの書体を発表。彼の印刷した本はいたるところで愛書家たちの賛美と、蒐集家の注目の的となった。
1870年(日本)
明治3年 本木昌造が長崎に「新塾活字製造所」創立。
1872年(日本)
明治5年 平野富二が神田佐久間町に「長崎新塾出張活版製造所」のちの「東京築地活版製造所」を開設
1876年(日本)
明治9年 佐久間貞一、秀英社(舎)を創業。
1883年(日本)
明治16年「官報」(太政官文書局)創刊。第一次改刻の五号明朝使用。
1891年(日本)
明治24年 佐久間貞一「印刷雑誌」創刊。第2号で野村宗十郎、活字系統としてアメリカ式ポイントを紹介。
1894年(日本)
明治27年 秀英社、独自の書体で明朝活字新刻発表。
1905年(日本)
明治38年 青山進行堂、湯川梧窓版下による隷書、草書体を発表。
1909年(日本)
明治42年 津田伊三郎、津田三省堂創業。
1913年(日本)
大正2年 君塚樹石、博文館印刷所に入社。石渡栄太郎から種字彫刻の手ほどきを受け、明朝体の改刻に取り組む。
1925年(日本)
大正14年 石井茂吉、森沢信夫、邦文写真植字機の試作機を発表。